2025年6月25日

【さらばE217系】東日本旅客鉄道E217系都クラY-101編成・都クラY-102編成が長野総合車両センターに配給輸送される

2025年6月25日、東日本旅客鉄道鎌倉車両センター所属のE217系都クラY-101編成(クハE217-2001以下4両)と都クラY-102編成(クハE217-2002以下4両)が新潟車両センター所属のEF64形1031号機の牽引で、所属先から南武線経由で長野総合車両センターへ配給輸送されました。どちらの編成も廃車解体処分と思われ、E217系は形式消滅となります。
▲登場当時から制御装置更新工事施行前までの横須賀色の帯に復刻されていたE217系都クラY-101編成。帯色復刻後の営業運転はわずか1日(平日夕夜間)だけで、基本編成で最後に廃車となった都クラY-42編成と組んでいた。この都クラY-101編成2006年の初転属から2010年の復帰まで東海道線で運用されていたことがある(元横コツF-51編成のうちの4両)。
▲E217系の登場当時の帯やロゴを復刻した都クラY-101編成は撮影会や団体専用列車で注目の的となった。最後の撮影会は6月上旬に行われた『横須賀線-総武線だョ!全員集合 撮影会』だった。
▲帯復刻前のE217系都クラY-101編成。電気連結器は東海道線時代の名残である。最後まで残った2本が一気に旅立ち、E217系は209系よりも先に完全消滅となった。一時期には海外に譲渡されるのではという噂もあったが、転用は一切なくすべて解体されている。
▲制御装置更新工事施行後の姿で最後となったE217系都クラY-102編成は2006年から2008年までと2012年から2015年までは東海道線で運用されていた(元横コツF-52編成のうちの4両)。同編成の旅客用扉に国府津車両センター在籍時に貼付されたドアステッカーが残っていた。
▲東海道線で運用されていたE217系都クラY-102編成(元横コツF-52編成)。この編成に都クラY-2編成(元横コツF-02編成)のサハE217-2を移動して横コツF-52編成として組み替えていた。2006年・2012年の2回も国府津車両センターに転属したため、サハE217-2の組み換えも2回行われていた。

最後まで残った2編成はともに1994年に登場した1次車の付属編成で、双方とも東海道線での運用経験があります。このうち都クラY-101編成は2006年3月から2010年まで、都クラY-102編成は2006年3月から2008年までと2012年から2015年までに東海道線東京(JT-01)~熱海(JT-21)間限定で普通列車・快速アクティー(消滅済)・通勤快速(消滅済)でも運用されていました。都クラY-101編成は2010年に、都クラY-102編成は2008年に鎌倉車両センターに一旦復帰していますが、都クラY-102編成は2012年に再度転属しているため、同編成の旅客用扉に東海道線時代に貼付されたドアに足を挟まれないように注意喚起するステッカーが残されていました(すでに廃車済みの都クラY-2編成都クラY-3編成都クラY-103編成も同様)。また都クラY-101編成は鎌倉車両センターでの撮影会の際に登場当時の帯に復刻され、平日夕夜に1往復だけ運用されたあとはイベントなどにもっぱら使用され、2025年5月10日に最後のラストランを迎えていました。2021年の都クラY-44編成の廃車開始から約4年で、E217系が約31年間の活躍の歴史に幕を下ろすとともに、同系列自体が完全消滅となりました。